
わたしが高校生の頃の昔の話です。
生まれて間もない、へその緒がまだついた状態で捨てられていた仔猫を拾ったエピソードです。
『世の中には酷いことをする人間がいる』
若い頃に痛感した出来事でした。
それは雨の日の出会い

かなり過去のことですが、わたしは高校への通学時自転車を駅前に置いていました。
公的な自転車置き場ではなく、知り合いの喫茶店の裏の土地に場所を借りていたので、駅前の通りから一本道を入った人通りの少ない場所でした。
そしてそれは6月の梅雨の時期の話です。
学校帰りに雨に降られ、自転車を引いて帰ろうと取りに行った夕方でした。
なんとなく微かに「みぃ……」と聞こえたような気がしたのです。
周囲の音はかき消されるほど雨が降っていたので気のせいかと思いました。
でもまた「み……ぃ」って聞こえる気がします。
「やっぱり聞こえる!?」
微かすぎてどこから聞こえるのか分からず、キョロキョロ探してみるのですがわかりません。
「み・・・・・・」雨音から確実に聞こえてくる。でも何かがいる様子はなく、かなり胸騒ぎがしました。
人通りもなく奥まった場所なので周囲には犬や猫を飼っている家はないのです。
「でも何かいる!どこに!?」
わたしはドキドキしながら周りを覗き込んだり、物を動かしてみたりと探しました。
そこは喫茶店が入っているビルの裏なので、喫茶店のゴミもお客さんが通る通りからは見えないように置いてありました。
でもそこには喫茶店のひとが置いたゴミとは明らかに違う、関係者以外の誰かがおいたであろう持ち帰り弁当の発泡スチロールの容器がコンビニ袋に入れられて捨ててありました。
袋の中を覗いてみると容器の中には食べ残したものが入っているのが分かるようなフタの閉め方だったので「汚い捨て方」と思ったのです。
でもなんとなくそのフタをそっとめくってみると、その中には残飯の汁にまみれた、まだ目も開いていない仔猫が入れられていたのです!
「!!」
仔猫!?なんて残酷な捨てられ方!

酷いことを!!
息を飲んで仔猫をよく見てみると、へその緒がまだついています。息もしています。
弱々しく「みぃ」と鳴いてくれました。
「生きてる!!」
でも片足が青黒く腫れ上がっていました。
「足が何かのはずみで……?そのせいで捨てられたのかも!?」
わたしは急いでその仔猫をいつもお世話になっている獣医さんに診てもらいました。
先生はすぐにへその緒を切ってくれましたが、片足の状態はとても悪く『生きられたとしたら足を切断をしましょう』という診断結果でした。
そして身体の温め方や排泄の促し方、ミルクの与え方を教えてもらい仔猫を連れて帰宅しました。
生きられる望みをかけて

生まれたてのとても可愛い仔猫は、梅雨の時期に出会ったので名前は『つゆちゃん』に決めました。
「足は無理だけど、生きられるかも知れない」
わたしはそう信じて帰宅後仔猫のカラダを温めてやり、ミルクを与えて排泄のために綿棒で肛門を刺激して、これから先も母猫代わりになれるように努力したいと思っていました。
つゆちゃんは生まれたてだったため体温を下げると命の危険だということで、つゆちゃんをわたしの体温で温めながら胸に抱いて寝ました。
ミルクの時間が3時間おきだったので、目覚まし時計をセットして眠ったのです。
でも。
虹の橋を渡っていったつゆちゃん

3時間後、わたしが目を覚ました時にはすでにつゆちゃんは息をしていませんでした。
ほんの3時間前は「みぃみぃ」と鳴いてくれていたのに。
いつの間にか逝ってしまったつゆちゃんを抱きながらしばらく呆然としていました。
「足の痛みから解放されて、今頃は温かくて安らげるところにいるのかな」
わたしは夜中に小さなつゆちゃんを抱きしめながら泣いていました。
つゆちゃんは朝早くに紫陽花の下に埋葬しました。
それから毎年その紫陽花が咲くとつゆちゃんのことを想い出していました。
高校生だったわたしが感じたこと

わたしは母猫の代わりにはなれませんでした。
足が潰れていた時にはもう助からない命だったのかも知れません。
高校生のわたしにとってはかなりなショックでしたが、心ない人間にこんな捨てられ方をして、あのまま持ち帰り弁当の発泡スチロールの容器の中で息絶えてしまうはずだったのが、たとえ数時間でもミルクを飲んで一緒に眠って……。
『酷い人間ばかりではないと思ってくれたかな』と悲しみの中で考えていました。
あれからかなりの年月が経ちました。
住む場所も変わりましたが毎年紫陽花が綺麗に咲く時期が来ると『つゆちゃんとの出会い』を思い出すのです。
たった1日でも大切な家族

つゆちゃんとはたった1日一緒にいただけでしたが、一生忘れることはできません。
茶トラのとても可愛いコで、もしあのまま育ってくれていたらどんな素敵な猫ちゃんになっていただろうと思うのです。
そんな可愛い仔猫を生きたまま残飯と一緒にゴミとして捨てる人間がこの世にはいる事実。
今の過激なまでの猫ちゃんブームを見ていると、決して一過性のブームではなく、家族になった猫ちゃんの一生を幸せなものにしてあげて欲しいと願います。